第1展示室の出入り口の脇に、今回の展覧会の趣旨を記した大きな垂れ幕が掲げられています。 壁際に置かれた長イスに座り、しばらくのあいだ観察していましたが、立ち止まって読む人は数えるほどで、ほとんどの人は待ち切れないというように足早に展示室の中へ。 その垂れ幕には次のように書かれています。 ・・・本展覧会は、光悦が携わったとされる分野の作品を一堂に集めることにより、その共通性と差異を浮き彫りにするとともに、系図や伝記などの歴史資料に照らして、王朝の古典を桃山から江戸時代寛永期に甦らせたこの巨人の、「真の足跡」を見出そうとする試みです。・・・ また、 ・・・作品ひとつひとつと光悦との具体的な繋がりを示す資料に乏しく、多くは謎として残されたままです。・・・ とも。 展示室の中には琳派の祖、桃山から江戸時代初期最大の文化人とされる本阿弥光悦の絢爛たる作品世界が広がっている(はず)。 その世界の入り口にこう掲げられているのです。 「本阿弥光悦という人、その作品については実はよくわかっていません」 と。 現在流布している、アートディレクター、マルチアーティスト、日本のダ・ヴィンチ、といった本阿弥光悦像は、近代以降に作られた虚像かもしれない。いや、恐らく虚像だろう。ならば、実像を見出すべく、改めてその足跡と作品を検証してみよう・・・ という意図が、カギ括弧付きの「真の足跡」という言葉に見て取れる。 そして、光悦の実像に近付こうとする試みは現在進行形である、ということが、図録に収載されている「書跡」「陶芸」「漆芸」「出版」、4つの分野の論考の中で示されています。 「書跡」の分野では ・・・下絵については、従来、俵屋宗達筆と伝えられるものが多いが、近年は宗達関連の工房作等が考えられている。 宗達自身のものや関わったもの、あるいは関わりがないものなどの判断はきわめて難しいのが現状である。今回は、全体を通して、宗達作などに言及しなかった。・・・ として、論考は光悦の自筆書状と経典類の書写への言及に止めています。 実際、展示されている宗達下絵、光悦書、いわゆる宗達・光悦コラボレーション作品とされている和歌巻等の解説には、 「光悦書、宗達下絵と考えられている」「下絵は俵屋宗達筆と言われている」「宗達が描いたと伝わる」と書かれ、宗達と光悦の共作であると明示されている作品は1点も見当たりません。 どの作品にも宗達自身が描いたと証明できる落款があるわけではなく、金銀泥を使って宗達風の様式、モチーフで描かれていることのみで宗達の下絵とするには無理がある、ということでしょう。 また、出品はされていませんが、Eテレの日曜美術館にレプリカが登場した、京都国立博物館所蔵の「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」は、少なくとも2人の研究者が和歌の揮毫者は光悦ではない、とし、その内の1人は、揮毫者は光悦とも親交のあった角倉素庵(すみのくら そあん)である、としています。 このことは「出版」の分野の論考でも触れられていて、 ・・・肉筆の金銀泥絵に彩られた流麗な水茎の数々が、光悦と俵屋宗達の共作に帰されるように、印刷物である嵯峨本の出版にもこの両名と、さらに出資者としての角倉素庵とのコラボレーションが類推されてきた。 今日、この図式には多方面から異論が呈されつつある。例えば、近年、嵯峨本の文字の書体として「素庵流」が俄かにクローズアップされ、ほとんど「光悦流」と拮抗するほどの勢いを見せている。・・・ 和歌巻における光悦・宗達という最強のコラボレーション、嵯峨本における光悦・宗達・素庵という黄金のトライアングル、という従来の図式が、各分野の再検証が進むことによって崩れつつある、ということです。 第2展示室には歴史資料として、『本阿弥行状記』と『にぎはひ草』が展示されています。 『本阿弥行状記』は有限会社本阿弥商店の社史、『にぎはひ草』は佐野(灰屋)紹益という当時の文化人によるエッセイ・随筆、どちらも光悦の近親者によって書かれたもので、客観性の点で光悦の伝記史料としては信頼性が高いとは言えないものですが、そのどちらにも俵屋宗達の名前は出てきません。 また、唯一、光悦の“肉声”と言える400通を超える自筆の書状にも、宗達宛て、あるいは文中に絵師・俵屋宗達と断定できる人名が書かれたものは1通も見当たらない。 これらの史料の検証からも、光悦と宗達には、直接的な接点はほとんど無かったと考えざるを得ないでしょう。 よくわかっていない、再検証が必要、ということでは「漆芸」も「陶芸」も同様で、「陶芸」については今後も当ブログで検証して行こうと考えています。 先日の日曜美術館の光悦特集のタイトルは「本阿弥光悦 日本最強のマルチアーティスト」。 五島美術館展との連動企画として制作されたのでしょうが、番組内容からは五島美術館展の開催趣旨とはまったく逆の方向性を感じました。 そもそも、光悦は芸術家なのか?桃山から江戸初期にかけて生きた光悦に、近代的自我の文脈に拠る芸術家という概念を当てはめられるのか?と問う五島美術館展。 一方、光悦は日本最強のマルチアーティストである、と言い切る日曜美術館。 間口を広く、できるだけ幅広い層にアピールするために、あるいは時間的な制約もあって、わかりやすさを優先した結果、従来の光悦像を踏襲して番組を制作したのかもしれませんが、 わかりやすさには、往々にして誇張や単純化、ウソが潜んでいるものです。 先に挙げた図録中の「出版」の論考は次のように結ばれています。 ・・・確かに近代以降、巨大化した光悦神話に対する揺り戻しが、出版の分野ではいち早く始まったということができるが、これが光悦が関わったとされる他の芸術作品の分野にどこまで浸透可能なのか。 それによって光悦像が新たな相貌を見せるのか。本展覧会の課題もまさにそこにある。 【参照資料】 『光悦 桃山の古典』 五島美術館特別展 図録 平成25年(2013)
by otogoze
| 2013-11-16 17:57
| 雑記
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