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「不二山」の外見的な最大の特徴が雪を戴いた霊峰富士を想わせる独特の釉景色にあることは、私などが改めて述べるまでもないことでしょう。 全体に白釉を施して白樂茶碗を焼いたところ、窯変(窯の内部の火や煙の状態によって、釉薬が予想外の発色・化学変化を起こすこと)によって下半分の白釉が内外ともに焦げ、まるでその頂に雪を戴いた富士山のような釉景色が現れた。この偶然に生み出された釉景色、そして二つとはできぬであろう会心作の意をも込めて「不二山」と光悦みずから名付けた--- といったあたりが、現在この国宝茶碗についての定説とされているところでしょうか。 人智・作為の及ばぬ火という自然(じねん)のもたらした偶然の妙。 ・・・怪我の功名、と言ってしまうと身も蓋もなくなってしまいますね。 しかし、私は少し異なる見解を持っています。「不二山」のあの釉景色は作為と偶然が重なり合って出来上がったものではないか、と。 まずは作為---全体に白釉を掛けた白樂茶碗、としてではなく、掛け分け茶碗として造ろうとしたのではないか。つまり茶碗の上半分には白釉を、下半分には黒釉を意図的に塗り分けて窯で焼いたのではないだろうか。 そして偶然---下半分の黒釉だけが何かの具合でほとんど剥落してしまい、黒釉を塗ってあった部分の地肌が広範囲にわたって露出してしまった結果あのような釉景色が出来上がったのではないか。 と、ここで気になるのは、釉薬が焦げて炭化するのはともかく剥がれ落ちるなんてことがあるのか、ということでしょう。 樂茶碗の釉置き(釉薬の塗り方)というのは、いわゆるズブ掛け(バケツなどに入った釉薬の中に素焼きした茶碗をどっぷりと漬けて施釉する方法)とは違って、主に筆を使って少しずつ丹念に何度も塗り重ねる方法をとります。まさに釉薬を茶碗の表面に“置く”ように施釉してゆくのです。 しかし、何度も厚く塗り重ねればいいかというとそこが難しいところで、厚くなりすぎると窯の中や窯から引き出した直後に釉薬がそのままボロっと剥がれ落ちてしまうことがしばしばあるのだそうです。 そうして丹念に釉置きを施した茶碗の出来を左右するのが窯での焼成です。 樂家ではその初代である長次郎の頃から黒樂と赤樂は別の窯で焼かれていました。 これは黒樂と赤樂では釉薬の溶ける温度が異なるためで、現在でもそれは変わっていません。 黒樂を焼くには赤樂よりも高い温度が必要で、凡そ1200度から1250度で焼かれ、赤樂は凡そ1000度で焼かれています。 また窯の構造も特殊です。 同じ陶器でも瀬戸焼や美濃焼などは一度に大量に焼かれるために大きな登り窯のような大型の窯が使われますが、樂家の場合は屋内に設置された小さな窯が使われます。 しかも黒樂窯では一度の焼成で茶碗一個(!)、赤樂窯では多くても四個までしか焼けず、茶碗はさや(茶碗を入れる素焼き製のカプセルのような容器)に収められて焼かれるので、窯の中で直接炎や炭に触れない構造になっています。 樂家で使われている釉薬には黒と赤のほかにも白や緑などがありますが、黒以外の釉薬の場合は赤樂窯で焼かれるのが普通です。 「不二山」が定説のように全体に白釉が掛けられていたのならば赤樂窯で焼かれたはずです。しかし、赤樂窯は黒樂窯よりも焼成温度は200度も低い。 焼成温度が低い上にさやに入れられて炎や薪炭に直接触れることもないのに、釉薬が焦げるほどの高温になるのだろうか・・・ それほどの高温にもかかわらず、焦げた黒釉よりも溶ける温度の低い白釉が焦げていないように見えるのはどういうことなのか・・・ また、茶碗の外側だけでなく見込(内側)までもがほぼ同じ幅で下半分だけが高温にさらされて焦げる(炭化する)ということがあるのか・・・ こう考えてみると下半分の部分だけが高温にさらされたという理屈には少し無理があるように思うのです。 ![]() 【不二山の見込】まるで計ったかのように 外側とほぼ同じ幅で下部が窯変している つまりこういうことではなかったかと考えています。 黒白掛け分けの茶碗として造ろうとしたのならば、黒樂窯で焼かれたでしょう。何故なら、赤樂窯では黒釉が完全に溶ける温度にまでは窯の温度が上がらないからです。 しかし通常の黒樂茶碗の焼成温度では上半分に掛けた白釉が焦げてしまうかもしれない。 だから、温度が上がり過ぎないように通常よりは温度を下げて、あるいは焼成時間を短縮して焼いたところ、黒釉が完全に溶けずに剥落してしまったのではないか。 茶碗の下半分の内側と底部(茶溜まり)の釉薬は残っているようですが、よく見ると“生焼け”のような部分と“ラスター状(油膜のように虹色に見える)”になった部分があることがわかります。 “生焼け”というのはツヤがないということで、樂家の茶碗でも長次郎など常慶以前のいわゆる古樂に見られる釉調で俗に「カセ釉」とも呼ばれています。 これは技術的に窯の温度を充分に上げることができなかったために釉薬が充分に溶けなかったためだろうと考えられています。ツヤのある釉調を出せるようになるのは光悦が「樂の妙手」と賞賛した道入(のんこう)以降のことで、道入の頃に窯の改良があったのかもしれません。 また、“ラスター”も一説には低火度焼成によって現れるそうで、どちらも釉薬が充分に溶けなかった可能性を示しているとも考えられるのです。 さて、残っている釉薬のツヤのなさを高火度による“焦げ(炭化)”と見るか、それとも低火度による“生焼け”と見るか・・・ 正反対の要因が考えられるわけですね。 私は後者、つまりは溶ける温度の違う二つの釉薬を同時に溶かそうとした試みが失敗に終わったことが、あの他に例を見ない釉景色を造り出した本当の理由なのではないか、と考えています。 つづく 一気に拝読。黒楽用の窯で焼かれたと絶妙な推測、ただただ感服いたしております。楽焼の焼成方法すら知りませんでした。それより私は不二山は写真で見ているだけで、いま初めて見込みを拝見いたしました。 光悦は楽の土を届けてもらい作陶、釉掛けまでして焼成は楽に依頼 していたのではないでしょうか。焼き上がりを見て驚いたのでは・・。 笹百合様 実は私も不二山の実物は目にしたことがありません。ですから専門家からすれば何を稚拙な論をということなのかもしれません。 おっしゃるように光悦は随分と驚いたでしょう。焼成をした樂家にとっては失敗でしかなかったわけですしね。 実はこの失敗が光悦の斬新な発想に繋がったのではないかと考えているところです。 あけましておめでとうございます。 順不同で拝読しております。 以前にサンリツ服部美術館のガラスケース越しに観た見込みが玉虫色でハレーションを起こしているという記憶は鮮明に残っております。 この畳の上にある写真は初めて観たのですがどちらで写したものか非常に興味が惹かれます。 ジバゴ様 年明け早々にもかかわらず風邪でダウンしてしまいました。この見込みの写真は恐らくサンリツ服部美術館内か財団関連施設で撮影されたものではないでしょうか。「不二山」は門外不出とされており、外部への貸し出し等は一切行われていないはずです。写真撮影についても同様なのではないでしょうか。 otogoge様 【不二山】に関して鋭い考察、楽しくなります。黒楽の焼成温度ですが、いかようにもできす。現代陶芸のデーターを鵜呑みにしてはいけません。まず、黒楽に使う釉薬ですが、この石は真っ黒の【真黒石/通称まぐろ】、また貴船石で黒楽は出来ます。そして黄土、錆土でも黒楽は出来ます。焼成温度は加味する唐の土、また硼砂の量によりいかようにもできます。陶芸の方が、「何度で焼くのですか?」という筆問をされていますよね?その質問は茶碗を研究するには愚問なのです。要は焼き魚と同じでおいしそうに焼けたら、そこでおろせばいいことなのです。そして【ラスター】ですがいいとこに着目されています。不二山は良くみると、白、黒、赤、青色が出ています。この4色は朱雀、玄武、青竜、白虎です。突如として理解しがたいと思いますが、秀吉が何故【赤楽】が好きだったか?刀の拵えは何故赤なのか?答えは大手は朱雀門であり【赤】です。中央は【黄】。黒は裏になってしまうのです。だから赤楽はとても少ないのです。今は悲しいことに茶道では黒楽が濃茶になって、赤楽はお薄になってしまいましたよね?残念です。不二山の4色についてはまたいつか。
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