「雪峯」は何故あれほど丸みが強調されているのでしょうか。光悦は「雪峯」に何を表現したかったのでしょう。 に帰依し、私財を投じて寄進した通称・吉野門。この 縁で38歳の若さでこの世を去った後、ここ常照寺に 葬られた。この吉野を身請けしたのが光悦の従兄弟 本阿弥光益の子で佐野家に養子に入った佐野(灰屋) 紹益。身請けに当っては光悦が取り成したと伝わる。 洛北鷹ヶ峰、光悦寺の程近くに常照寺があります。光悦が土地を寄進し、その養嗣子光瑳の発願により日乾上人を開祖として建立した日蓮宗(法華宗)寺院で、寛永4年(1627)には鷹峰檀林(僧侶のための高等教育機関)が開設され、昼夜を問わず「南無妙法蓮華経」の題目を唱える声が絶えなかった、と『本阿弥行状記』には記されています。 ここに光悦が描いて寄進したと伝わる「蓮乗日輪」という一幅の図が所蔵されています。 光悦が描いた絵画と称されるものには、現在のところ真筆と認め得るものは一点もないとされており、この図が果たして光悦の手によるものかどうかはわかりません。しかし、光悦が自ら描いたものではないとしてもこの図が宗祖日蓮への深い帰依を表明したものであり、光悦の強い法華信仰を示すものであることは確かでしょう。 日蓮への深い帰依を表わすとされている。 この図を見て私の脳裏に浮かんだのは「雪峯」と「不二山」の姿でした。 「雪峯」が何故あれほど丸い姿をしているのか、何故高台がアンバランスなほど小さいのか、何故やや厚く削られているのか・・・ 「雪峯」の特異なかたちの理由(わけ)を見つけたような気がしたのです。 やや飛躍した論であることを承知の上で述べますが、「雪峯」と「不二山」は一対・一双茶碗として同時に造られたものではないか、と私には思えるのです。 「雪峯」を日輪、「不二山」を白蓮として日蓮を表わしているのではないか、信仰の証として「蓮乗日輪図」を寄進したように、嫁ぐ娘に持たせるための茶碗に祈りを込めようとしたのではないか、と。 「雪峯」が日輪を模しているのだとすれば、理想の形は球体でしょう。しかし、茶碗を球体にはできない。できるだけ球体に近くしかも茶碗として造形するにはあの形しかなかったのではないか。 また、同様にできるだけ球体に近く見えるようにするためには高台は無いほうがいい。しかしあれだけ丸い底では高台が無くては(例えば「太郎坊」のような*碁笥底では)安定性が確保できず、茶碗としての用を満たすことができない。できる限り小さい高台を意識した結果があの小さな高台だったのではないか。 *碁笥底(ごけそこ)=碁石を入れる容器(碁笥)のように、茶碗の畳に触れる底の部分を直接削り込んで上げ底にしたもの。いわゆる高台は無い。 雪峯私論 その二 で述べたように、赤土は焼成中に“へたり”易いので胴や口縁を薄く削り込むと変形してしまう可能性が高くなる。収縮による狂いを少なく、できるだけ球体に近い丸みを保持するには厚くする必要があったのではないか。 真っ赤な日輪の口縁から胴にかけて、まるで日輪を遮る雲のように香炉釉(白釉)を流し掛けた理由はわかりませんが、同様に香炉釉が使われている「不二山」との一対・一双としての一体感、統一感を持たせたかったのかもしれません。残念ながらそれくらいしか、私には説明がつきそうな理由は思いつきません。 雪峯私論 序 で、“「雪峯」は光悦茶碗の中では異端”と述べましたが、実は「不二山」にも同型の茶碗はありません。その意味では「不二山」もまた光悦茶碗の中にあっては異端なのです。 もちろん、腰を角ばらせた角造りの「七里」や「加賀光悦」は同系統ですが、高台脇や胴の立ち上げ方、口造り(口縁)の仕上げ方などの造形はかなり異なり、ヴァリエーションではあっても同型とは言えないでしょう。 他の光悦茶碗に比べて胴や口縁がやや厚い。常慶の香炉釉と思われる白釉が使われている。光悦自らが命銘したと伝えられている。 つまり「雪峯」と「不二山」二碗だけに見られる共通点が複数見られ、共に異端であるということです。 茶碗などの銘というのは、原則的にはその道具の所有者が付けるもので制作者が付けることはありません。しかし伝承のように光悦が嫁ぐ娘に持たせる道具として造ったのであれば、光悦自ら命銘することはむしろ自然なことだろうと思うのです。 それは「不二山」が日本の陶磁史上初の共箱である、あるいは個人作家の誕生、作家性の発露というような文化論的な意味ではなく、ごく私的な情愛の表現手段として。 大坂の富豪に嫁ぐ娘に「不二山」を持たせたという伝承を元に、更に想像を逞しくするならば、嫁ぐ娘に「蓮乗日輪」の如く宗祖日蓮を表徴した一対の茶碗を持たせたいと考えたのかもしれません。父親である光悦から愛娘への餞(はなむけ)の“言葉”として。 一対・一双といっても夫婦茶碗という俗な意味合いは恐らくなかったでしょうが、夫婦円満の願いは込められていたかもしれません。 しかし、いくら金漆で繕ったとはいえ、嫁ぐ娘に一旦“割れた”茶碗を持たせるわけにはいかず、光悦としては本意ではなかったけれども娘には「不二山」だけを持たせた。 仮にも帰依する宗祖日蓮の象徴である日輪を模した茶碗をむげに捨て去ることも、熱心な法華信徒である光悦には憚られた。 普通に考えれば、焼成に失敗した時点で廃棄されてもおかしくはないはずの割れ茶碗が、金漆継ぎを施され、伝承を信じるならば光悦自らが「雪峯」と命銘し残されたのには、それ相応の理由があったと考えるのが妥当なのではないかと思うのです。 それは、ゆがみや不完全性に美を見出すいわゆる“不足の美”という美意識や、欠陥すら取り込もうとする作為さえも超えたもの、信仰にあったのではないか、と。 「雪峯」もまた「不二山」同様、光悦の信仰が生み出し、それ故に捨て去られることなく生かされた“祈りのかたち”だったのではないでしょうか。 つづく
by otogoze
| 2008-03-03 19:01
| 陶芸
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