TV画面を携帯カメラで撮影したものなので画質は良くありませんが、件のホンモノと鑑定された白樂茶碗です。 今までに見つかっている光悦の茶碗のうち、白釉のものはわずかに数点しかありません。 国宝の「不二山」、大阪の藤田美術館蔵の「白狐」、そして所在不明ですが大正名器鑑に掲載されている「弥生」。 あとは真作かどうかやや疑問のあるものが数点あるのみで、黒樂や赤樂と比べると非常に少ないのです。 白釉というのはどうしても見た印象がのっぺりと単調になりがちで、面白みに欠けるところがあるような気がします。 例えば国宝の「不二山」ですが、もし胴の下半分があのように黒く焦げずに全体が白釉のままで焼き上がっていたらどうだったでしょう。 形もほぼ真っ直ぐに腰の立ち上がった半筒形で動きがほとんど無く、しかも全体が乳白色で立体感も乏しかったとしたら・・・ 緊張感のない凡庸な茶碗になってしまうと思いませんか? 白釉というのは実はとても難しい色なのかもしれません。だから、なかなか納得のいく出来にならないから、結果的に現在まで残る茶碗も少なくなってしまったのかも。 では件の茶碗はどうかと見てみると、これも“無傷”ではありませんね。 「不二山」の焦げも言ってみれば“傷”でしょう。“傷”が付いたことで却って引き締まって、全体の印象に良い緊張感をもたらしているのです。 この茶碗の場合は釉薬の“傷”ではなくて、形の“傷”がいくつも見られます。 まず、銘の由来になっている口縁にある裂け目というか胎土が割れて食い違っている部分が目に付きます。 この割れの部分は正面の反対側にもあります。 ナレーションでは、この食い違い部分は意図的にわざと作ったものだとコメントしていましたが、私は意図的なものではないと考えています。 確かに織部茶碗のように意図的に大きく歪ませたり、わざと胎土を切って食い違いを作った茶碗もあるのですが、この茶碗の場合は「勢い余って」というのが真相ではないでしょうか。 茶碗の左下の腰の部分を見て下さい。 箆で面取りをするように、勢い良く一気に胎土を削り取ってあってそれが面白い景色になっています。 そうして削ったあと、またすぐその脇に同じようにズバッと箆を入れたときに、恐らく竹の箆の先端部分が食い違いになって現れた箇所の胎土に強く当ったか、めり込んだ状態になって土にかすかな亀裂が入ったのではないかと推測しているのです。 それは目で見てもすぐにはわからないような亀裂だったものが、窯で焼いたときに土が縮んであらわになったのではないかと。 そのことは反対側の割れの部分を見るとよりわかるのではないかと思います。 つづく
by otogoze
| 2006-09-21 22:38
| 陶芸
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