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古今東西、信仰はさまざまな芸術作品を生み出す源泉であり、熱烈な法華信徒であった光悦もまたその信仰に根ざした作品を遺しています。 宗祖日蓮が著した「法華題目抄」や「立正安国論」の書写や螺鈿を施した漆器の経箱を寺院に寄進しており、それらは法華芸術の精華とも呼ぶべき作品となっています。 実は私は「不二山」もまた光悦の信仰から生み出されたものではないかと考えています。 本阿弥一族の菩提寺である京都市上京区の本法寺に、光悦が作庭(設計)した「三巴(みつどもえ)の庭」と呼ばれる書院式庭園があり国の名勝に指定されています。 この庭は全体が法華経の宇宙観を表わし、その中ほどには十本の切石を円形に組んで縁石にした池が造られ、その池の中には白蓮が植えられています。 ![]() 【三巴の庭】手前の半円形の石を二つ合わせた円石 は「妙」を表わし蓮池と合わせて「妙法蓮華経」となる また、中庭には光悦作とも遺愛とも言われている手水鉢があります。わかり難いですが、周囲には蓮の花弁の形の模様が浮き彫りにされ、手水鉢自体を蓮の花、蕾に見立ててあるそうです。 ![]() 【手水鉢】下半分が苔生しているところといい 形といいまるで「不二山」のようにも見える この“十本”そして“白蓮”はそれぞれ法華経において重要な意味を持っています。 蓮池を縁取る十本の切石で、法華経(妙法蓮華経)を最上の経典とする天台宗の宗祖である天台智顗(ちぎ)大師の著書「法華玄義十巻」を表現して組み「法華経」を意味し、 また「十界勧請(仏界・菩薩界・縁覚界・声聞界・天人界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)」「三世十方(過去・現在・未来の三世と東・西・南・北・北東・北西・南東・南西・上・下の十方)」という法華経の宇宙観が表わされています。 つまり法華経においては「十」という数が重要な意味を持つのです。 そして経題(妙法蓮華経)に含まれている蓮華(白蓮)は法華経の核となる存在であり、釈迦さらには日輪をも象徴しています。 法華経のサンスクリット(梵語)の原典名「サッダルマ・ブンダリカ・スートラ」を直訳すると「何よりも正しい白蓮のような教え」という意味になります。 白蓮は池底の泥濘から花茎を伸ばし、やがて水面に清浄無垢な白い花を咲かせる。妙法蓮華経(法華経)の教えは最上のすぐれたものであり、美の極致ともいうべき蓮華、中でも最も秀でた白蓮に託してその至上性を標榜しているのです。 ![]() 【蓮下絵百人一首和歌巻断簡】 個人蔵 俵屋宗達の蓮の下絵に光悦が和歌を書き散らした 穢れたものである泥がなければ清らかな白蓮の花は咲かない(「泥池白蓮」)。 穢れた泥と清らかな白蓮は不可分のもの(「不二中道」)。 二項対立的な貴卑論、善悪論を超越し、従来の宗教では求めることが卑しいとされた現世利益を肯定したところに、法華宗が本阿弥家を含めた商いを生業とする町衆に受け入れられた最大の理由があったわけですが、この「泥池白蓮」「不二中道」という法華経の教えの真髄とも言える思想を茶碗というかたちで表現したのが「不二山」ではないかと考えています。 「不二山」の胴をよく見ると縦に箆で面取りされていることがわかります。特に腰の部分にはその箆目が明らかですが、上部になると釉薬に隠れてはっきりとは確認できません。 しかし真上から見ると恐らく十角形になっているのではないか、そう思えてなりません。そうです、本法寺庭園の十本の切石で縁取られた蓮池と同じ造形意図です。 ![]() 【不二山の胴の腰部分】面取りされていることがわかる そして「泥池白蓮」「不二中道」の教えを茶碗というかたちにしようとするなら、白釉(白蓮)と黒釉(泥)とで塗り分けたでしょう。 何故なら池の底の泥と白蓮は不可分のもの。穢れた泥がなければ清浄な白蓮の花は咲くことができない。白蓮の花だけ(=白樂茶碗)では存在し得ないからです。 だから上半分には白蓮の白釉を、下半分には泥の黒釉を塗り分けたのではないか。そして上下の塗り分けは白黒でなければならなかった。その逆であっては意味がない。 これが私が「不二山」が白樂茶碗としてではなく、白黒掛け分けの茶碗として造られたのではないかと考える理由です。 光悦の茶碗を一覧したときに、何故だか「不二山」には違和感のようなものを覚えます。それは光悦の他の茶碗には見られない特殊な釉調だとか、評してよく言われる格調の高さ云々とはまた違った何か・・・どこかよそよそしい、親しみを拒絶しているような印象を覚えるのです。 「乙御前」や「紙屋」に感じる「この茶碗で一服いただいてみたい・・・」という親しみやすさを感じないし、むしろ超然や孤高という言葉さえ浮かんでくる。茶の湯の世界の言葉で言うならば茶味を感じられない。 しかし、もし「不二山」が光悦の信仰から生み出された“かたち”であるとすれば、その違和感、超然とした佇まいもあるいは当然のものなのかもしれません。 大坂の富豪のもとに嫁ぐ娘に持たせるために造った、という伝承を信じるならば、「常に法華経の教えとともに生きよ。くれぐれも信心を忘れるな。」という願いを込めて娘に贈ったものだったのかもしれませんね。 「不二山」に限っては、数寄風流の道具ではなく、信仰心の結晶、法華芸術のひとつのかたちであり、なによりも光悦の“祈り”であったのではないだろうか、と考えています。 つづく ■
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by otogoze
| 2007-10-11 22:59
| 陶芸
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Comments(4)
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祈りの茶碗「不二山」。深い思惟と感性に敬服いたしました。次回楽しみにいたしております。
笹百合様 身に余るお言葉ありがとうございます。国宝指定という与えられた特別な要件がなくとも、「不二山」は光悦自身にとって特別な茶碗だったのではないでしょうか。次回は「不二山」が光悦の茶碗造りに及ぼしたある影響についての私論を綴りたいと考えています。
不二について。
色心不二。 色は身体の事で心は心。 心と身体は影響し合い一体のものだという意味。 心が調子悪いと身体にも影響してくるし、身体が調子悪いと心にも影響する(笑) 依正不二。 依は依報。正は正報。 正報というのは自分自身。 依報というのは対境にある環境、社会の事です。 これが一体だと言っている。 二つの要素が常に影響しあって一つとなっている。 こういう考え方だと思うのです。 この不二山はだれの命名かは知らないけど。 光悦はこういう事は当然知っていただろうし。 otogoze様が言っている中道というのはそういう事だと思うのです。 この事を茶碗に入れたのかな〜?
とく様 私が書こうと考えていたことを先に書かれてしまいました(笑)「不二山」という銘については、光悦がその出来栄えを見て、その特殊な釉調から二つとは出来ないもの、霊峰富士のようだということを重ねて「不二」の字を当てたというのが通説になっていますが、私は「不二」という言葉が先にあったのではないかと考えています。つまり「不二」という言葉を念頭に置いて光悦はこの茶碗を造ったのではないかということです。法華経にはとく様が挙げた「色心不二」「依正不二」以外にも「不二」を含む言葉がいくつか書かれています。「師弟不二」「身土不二」。どの言葉もとく様が書かれたとおり“二つの要素が常に影響しあって一つとなっている”、本来分かちがたく繋がっている、結びついている、という意味です。それらを一言で表した言葉が「不二中道」。嫁ぐ娘に「不二山」を持たせた、という伝承が事実だとすれば、他家に嫁ぎこれから夫婦になろうとする娘に贈る言葉として、これほど相応しいものはないと思うのです。それは娘に覚悟を促す言葉でもあったかもしれませんね。「不二山」は数寄風流の道具として造られた茶碗ではない、という思いを強くしています。
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